kumamotos020610 卒論準備レジュメ

今日は日光市について言及してみたいと思う。それは、この市の二つの側面が私をひきつけたからだ。

 

伝統的な観光都市の現状認識の甘さ。

栃木県日光市は歴史ある街であり、世界遺産登録されている「日光の社寺」をはじめ、歴史的文化遺産が数多く存在する。

大勢で行く「日光詣」という旅行スタイルが定着していたが、様々な旅行スタイルの変化(名勝めぐり観光→体験・参加型観光・海外旅行の増加による国内旅行の減少・大勢でのツアー→少人数、グループ)によって苦戦を強いられている。(前回の栃木県全体における観光の現状を一部要約)

問題は旅行スタイルの変化だけなのだろうか。問題は、それを現象として捉え続けてきたがゆえの問題意識の欠如に合ったのではないだろうか。旅行スタイルというトレンドは常に変化しつづけるものであり、それに応じた変化・改革を観光都市全体が、むしろいち早く気付くべきだった行政が行わなければならなかった。現状は行政の状況適応能力の遅さによるものと言ってもいいだろう。事実、バブルの崩壊から何年たったであろうか。

観光産業は長期的展望を必要とする。それはハード面、ソフト面どちらをとっても不確定的要素の大きいものであるから仕方ないかもしれないが、現在の観光業界全体の雰囲気は、まだバブルから抜け出していないように思える。金がないから来れないのではなく、魅力に欠けているから来ないということを行政が自覚しなければ、多くの観光資源や、また多くのそれに関わる人々にとってそれが大変な問題であるということがいつまでも捨ておかれてしまう。あくまでも対外的な字面だけの「計画」よりも、それを執行する「政策」の決定がなければどうしようもない。

新たな観光客確保の行く先

現状認識の甘さとさほど問題は変わらないが、私が国際学部生である以上、国際的視点をもってこの問題を見た場合、避けて通れないのがやはりこの問題であった。もちろん外国人観光客についての問題である。

私は日光市の雰囲気は古都京都や東京浅草等に引けを取らない、ジャパニーズ・オリエンタルの象徴ともいえる観光資源だと思っている。外国人観光客の目的の一つとしてオリエンタリズムの体験、または日本文化の体験があるならば、日光市はそれだけの既存価値があることになる。

しかし、上記の問題があるゆえに言わば「受身の」営業形態であった観光事業はその既存価値に依存し、潜在的な付加価値の向上(前項における「変化・改革」にあたる)がなされなかったがゆえに、京都・浅草などに遅れをとっている。

もちろんそのような都市と日光市を単純比較することは出来ないが、それはあくまでも条件面を考慮するという前提の上のものであり、そのフォーマットの上でさらに努力することで何かしらのカバーは出来るはずだ。

要するに、一つの社会的組織のトップ(=行政)が様々な企業努力(政策)を怠ることで組織全体の破綻をうむ可能性だってあるということだ。特に、あるひとつの特化された事業を行っているものは、単純に魚屋や八百屋を考えてみるとそのカテゴリーに特化している分だけそのクオリティーが問われるのと同様に、その特化された事業についてより力を入れなければならない。つまり、観光都市の一つである日光市にもほぼ同じ論理が通用するのではないだろうか。

 

この二つの視点に、どのような方向性を持たせていくかはまだ決まっていないが、今回はっきりとわかったことは、地域自治体も一つの社会的組織の一つであるがゆえに、同じように社会的組織である企業体の要素を持ち合わせていることである。そしてこのことは誰もがうっすらと自覚している事だと思う。

私達市民が社会的不安に際して思うこと、それは家族・友人→学校・企業→地域自治体・国家→世界 という風に対象の大小はあっても、つねに周辺から中心に向けられている。これが問題の転嫁の原因になっていることかもしれないのだが、あるカテゴリー集団の中心に属する者は、その集団の方向性の計画から実行の責任を負うことを自覚しなければならない。常に周辺の責任がのしかかる中心は、ある意味二次的周辺の立場にあるわけで、その責任は確かにその二次的中心に転嫁することも出来る。しかし転嫁する価値のある責任とは相対的に見れば少ないもので、例えばちょっとした夫婦喧嘩の仲裁を国際裁判所が執り行うことはありえないように、まず当事者に一番近い中心的立場の者がその責任を負うことが最善である(ちなみに前例の場合、その夫婦の両親レベルが適当)。

つまりこれは日光市、また大きくとも栃木県の問題である。私がこれから日光市の側面について言及したいことは、原因でも経過でもなく、日光市、または栃木県が取りうる最高かつ責任の取れる政策である。